別マ。と、” ぐぐって”みたら、一発で検索可能。すごいなあ、別マ。ここまで短縮される雑誌って、ほかにあったかしらん。
中学2年の頃。またまた深津先生の話になってしまいますが、当時中学生の私に別マを読むように進めてくれたのは、この方。
それも授業中、いきなり黒板に向かって「いつもポケットにショパン」とだけ書いた後、教壇の上からにんまりと笑った深津先生。
いま流行の「ドヤ顔」とはちょっと違って、静かに悦に浸っている表情だったのを、今でもはっきりと覚えている。
そして、みんなの反応はと言うと、男子からは「はあ?」みたいな反応で、殆どの女子が「えっ?」と、言う顔をしてた。
その「えっ?」は、なんで先生、そんなの知ってるんですかの、「えっ」だったと思う。
「僕はね、これまでずっと少女漫画なんてとんでもなく低級な読み物だとおもっていたんだけど、
この作品を読んだら、それまでの見方ががらっと変わったんだ。これは文学だ。実に素晴らしい」
そう言った後、先生はそれまで腋に挟んでいた稿半紙の束を皆に配った。
そこには手描きで16コマの四角い枠が書いてあるだけ。漢字の書き取りかと思ったら、全然違う。
「今度の授業までに、絵または文章または台詞を使って16コマで終わる物語を作ってきなさい。
16コマのわくの使い方は自由です」
これは宿題ですよ。そう言うと、先生はまた静かに笑う。
-----漫画書けって言ってんの?なにそれ。違うよ、これって脚本じゃない?俺、絵だけでいこうっと。
絵だけでは語れないこと、文字だけでは表現できないこと。たぶん先生は、私たちに漫画の魅力を教えたかったのだろう。
この後先生は、一学期分の授業を使って、「漫画を深く読み砕く授業」をしてくれた。
漫画を読むだけでなく、たとえば現代詩を朗読した後、そこで感じたものを絵にしてみるとか、
「あしたのジョー」の9巻、矢吹対力石戦の第7ラウンドのところを脚本にするとか。
一番気に入った台詞を選んで、その台詞の末尾は何形で結ばれているかとか。
当時使っていた現国の教科書はほとんど使用した覚えが無く、今でもきれいなままだ。
漫画を深く読めるようになれば、国語の力も自然とついてくる。先生のねらいに、まんまと私たちは嵌ってしまった。
当時「ツッパリ」と括られていた子達も、深津先生の授業だけはちゃんと机に向かっていたし、授業中は皆真剣だった。
思春期を迎えて、心の中でおきる色々な葛藤を、ここでは自分の言葉で形にすることを教えてくれた。
随分大人になった後でも、こうして先生の授業を思い出すことができるのだから、相当に魅力的な授業だったことには間違い無いと思う。
先生のお陰で、図書室の一角にはオススメのマンガ本が並び、そこには連日生徒でごったがえしていた。
クラブ活動が終わって最終下校時刻の放送がかかるまで、私も毎日そこへ通った。
小説を書き始めた私のために、先生は時々「カオポンさんへ」とページの中にしおりをはさんでくれた。
今月の別マのおすすめはこれですよとか、この漫画を読んだ後にこの詩集をお読みなさいとか、万年筆でひっかいた癖字のメモを沢山もらった。
今でも先生の癖字を思い出すと、ちょっと泣きそうになるのだ。