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珈琲スタンド・15話 その2

 
 
 
その後老医師は、すぐに店を出て行ってしまった。
自分より遅れて席に着いたのに、ひょっとして気をつかわせてしまったのだろうか。
誰もいなくなった店の中で、空いたばかりの席を見つめると、益田はため息をもらした。
そしてにわかに伸びてきた顎の髭をさらりと撫でていると、店のドアが開いた。湿った生ぬるい風が入り込んでくる。
 
「大丈夫だったわよ、せんせ」
安堵の笑みを浮かべるママに、益田は「何が?」と訊ねた。
「ああ……。よっちゃんは知らない、か」
「知らないも何も」
「せんせぇとこの、奥さん。今日が命日なのよ」
「そっか……」
カウンターの中に潜ると、ママはすぐに煙草を手に取った。
そしてマッチを取り出すと「吸ってもよろしくて」と、横目で許可を求めてくる。
「どうぞ」
すぐにマッチの燃える匂いがした。
奥さんを弔ってからどれだけの月日が流れたのかは知らないが、老医師の気持ちは少なからず感じるものがある。
 
「よっちゃんがいてくれて、良かったわ」
「そうかな」
「そうよ。じゃなきゃ、私だって寂しくなっちゃうもの」
そう言いながらママの眼は既に潤んでいた。
「優しいな、ママは」
すっかり冷めてしまった“福生エッグ”をつつきながら、益田はママを慰める。
「俺がもうちょっと年喰ってたら、ママを女房にしようと思ったのになあ」
「ちょっと!」
よほど照れたのか、いつもの濁声が幾分若い声に戻る。
「よっちゃんがどれだけ年を取っても、アタシの心はなびかないわよ。だって、私の心は……」
「福生で別れた水兵さん。って、言いたいんでしょ」
「そう!そういうこと!…でもねえ」
ぶはあと煙を吐くと、ママは大きく首を振る。
「向こうもさ。きっと家庭を持ってると思うし……アタシとの約束なんて忘れてるよね。
死ぬまでに会えるなんて奇跡は絶対に起こらないわね」
 
最後は殆ど聞き取る事ができないぐらいの呟き。
この店の由来にもなった小さな町、国道16号線沿いの小さなパブで、ママはシャンソンを歌っていたらしい。
どこか垢抜けた印象を感じるのは、昔の想い出がそうさせるのだろう。
 
「それによっちゃんはね。もっと若くて気立ての良い子をお嫁さんにもらわなくちゃ!」
一人でしんみりしていたのを反省したのか、ママの声が急に大きくなった。
俺に構うなと無言を決めると、「ふうーん」とママは唸った。
「ほら、この前の……あれ、あれよ!」
「あれじゃわからん」
ぶっきらぼうに返したが、ママは少しも懲りていない。
「ほら、ここの席に座ってた人!」
益田から2つ右に離れた席をさして、ママは顔中に笑顔を浮かべた。
「……」
「髪がほら、結構長くて、眼鏡かけてて、
すらーっとしてて、大人しいんだけど、芯はしっかりしてそうな感じがしたのよね。
ものすごい美人って感じじゃ無いんだけど、雰囲気が良いのよ。
よっちゃんの隣で静かに飲んでて……良い感じの子だったんだけどなあ」


 
尚もだんまりを決めながら、益田はママが指した席を見つめた。丁度半月前の平日だった。
少しも融通の利かないポンコツ車を乗り回して、
とうとう動かなくなってしまったのを理由に、ここで食事を一緒にした。
一日がかりでまわった場所は、述べ4箇所。港の漁港に、鮮魚の市場。
中学の頃に遊び耽った校舎裏の神社に、一軒だけ残っている駄菓子屋。
神社でおまいりをした後に、二人で引いたお御籤は、自分が末吉で向こうは中吉。
仕事運の所に、波乱有りと意味深なお告げが書かれていて、二人で少し悩んでみた。
悩んでいても仕方がないからと、松の木の枝に結びつけようとしたら、消え入りそうな声でこう言った。
-----待ち人、そばにいると……。
 
「名前は何て言うの?」
「……たいらさん」
「へっ?」
益田が素直に答えたので、ママは目を丸くした。
「たいらさんって、苗字?下の名前?」
「苗字に決まってるじゃん。“はらたいら”じゃ無いんだから」
益田は軽くふてくされた。
「ごめんごめん。じゃあ、下は何て言うの?」
「知らない」
「えっ?」
「しーらーなーいっ」
知らない。のではなく、知りたくないのだ。
知ってしまえば、下の名前で呼んでしまえば、それまで想っていた気持ちが全部彼女に伝わってしまいそうで怖いのだ。
仕事のためと銘打って外に連れ出したまでは良かった。
緊張気味な性格をほぐしてやろうと少しの間だけ手を繋いだら、彼女はもっと黙ってしまった。
怒らせたのではと不安になって、車の中で詫びてみたら、彼女は白い肌を赤く染めて恥かしそうに俯いた。
それだけで、十分満ち足りた気持ちになった。
彼女の事を想っているのは確かだ。しかし今は、自分からどうする事もできない。
 
「この前、ママが俺の事探りを入れたじゃん」
「探りって」
「環境土木課の佐々木」
「ああ、佐々木さんが話してたアレね。よっちゃんが直々仕事を依頼したのが女の人だって話。って、えっ?」
「……」
「じゃあ、依頼した相手って……」
ママは驚きで声を失っていた。そしてもう1本煙草に灯をつけようとしたが、それは寸での所で自重した。
肺に陰りがあることを先日医者から言い渡されたばかりだ。
「はじめから、あの子の事分かってて仕事を頼んだの?」
急須から茶を注ぐと、ママはずびりと音をたてて番茶を口に含んだ。
「いや。分かっては、いない。半分賭けだった」
 
数ヶ月前の春の夜。あの日突然、たいらは益田の前に現れた。
それも酷い泥酔で、相手が誰かと確認する間も無く、益田はたいらを保護してしまった。
昔、想いを抱いていた女の面影と良く似ていたこと。保護した理由は、ただそれだけだ。
幸い、軽い嘔吐を繰り返しただけで、彼女の容態は安定した。
 
ただし、もしも急変する様な事があってはならないと、この時になってはじめて益田は彼女の身元を調べた。
新しく仕事の環境を変えたばかりなのか、それとも普段から持ち歩かない性格なのか、保険証も運転免許証も無い。
鞄の中から唯一情報を得れたのは、B4ほどの大きさの製図帳とクロッキー帳。
ラフな状態ではあるが、書上げたばかりの花の絵に益田は心を奪われた。
どこか大手の花屋からの発注であろう。グリーティングカードとしてデザインされた花のカットは数点。
写実的ではなく、極少ない線で花の特徴を品良く捉えている。
水墨画の様なとか、ミュシャの様なとか、そんな例えるものは浮かばなかった。
これが彼女の個性なのだと思った。
さほど若くは無い雰囲気からして、自分の良さを上手く売ることができない様子も、
観察眼の鋭い益田には容易に察する事ができた。
しかし、分かったのはそれだけだ。
製図帳に印刷されたデザイン事務所の名前と、クロッキー帳に走り書きした小さなサイン。
前々から計画が上がっていた都市再生計画の一端に、彼女の才能を試してみたいと実行したのだ。
 
「…だから、彼女とは特別な仲になっちゃいけないんですよ。
依頼主と、依頼された者が直接関わるのも、あまり好ましくない。
金銭のやりとりが無いとしても、これが公に出てしまうと……ねっ?」
出された番茶をすすると、益田は「ははっ」と笑った。
「でもさ、でも……」
湯飲みを両手で包むと、ママは小さく首を振った。
「いいんです。ママは気にしないで」
つとめて優しい口調を心がけた。もう、この話はこれでおしまい。
それ以上、ママが何も言えなくなってしまったのを合図に、益田は席を立った。
清算書に書かれた金額より気持ち大目に出していくと、益田はスーツに袖を通した。
 
「お釣りは良いからね。今日も美味しかったよ」
カウンターから出てきたママが、益田のネクタイを結びなおす。
商工会のトップとして、役所に通い詰めて今日が三日目。
明日はいよいよ、刷り上ったパンフレットの審査を行う事になる。
もしかすると、明日は“取引先”も顔をそろえてくるだろう……。
「いつも粋に着こなしてるけど、ネクタイを結ぶのだけは下手なのねえ」
染みの浮かんだ手でぎゅっと根元を結ぶと、ママは小さく笑った。
「いいんだよ。ママに結んでもらえば、それで済むんだから」
「こんな皺くちゃの婆あに結んでもらうんじゃなくて」
 
あの子に結んでもらいなさい。
そう言いたいのを必死で堪えると、ママは益田の頬を思いっきりつねった。
 
 




 
 
15話終り。
 


 
さあ、だんだん話の核心に迫ってきた感じです。
“福生のママ”は、この話の中で、結構重要な人だったりします。
以前、「どうして、氷室はこの話に出さないのですか?」と
いった問い合わせを頂いたのですが、氷室先生と益田が話しをするとなると、
どうしても自分とこの店(カンタループ)で話をすることになってしまう。
そうすると、二人をかっこよく書こうとしちゃうので、話の筋がぼやけてしまうんですね。
生きるのが下手なたいらと本当の恋をするのなら、益田もかっこいいだけじゃ駄目だな…と。
この不景気な状況で、しぶとく水商売を成り立たせている男は、どんな人と関わりをしているのか。
お店では知ることのできない、彼の姿を書いてみようと思って、福生のママのお店が登場したわけです。
ちなみに、氷室先生は、物語の終盤には顔を出しますよー。
 
 


 
 
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