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飴色のカウンターには小鉢が2つ。今朝揚がったばかりのサザエを煮たものと、手製のイカの塩辛。
楊枝でくるりとねじの巻いた方に殻を回すと、「つるっ」と音がするようにサザエの実がむき出しになる。
「見てみて、全部きれいに出たって!」
実を上手く出せたことに満足して、目の高さまでサザエを持ち上げてみる。
益田の御満悦につきあう者は誰もいない。ぶすっと子どもの様にふてくされると、
益田はさざえを口の中にほうりこんだ。
程よい弾力と磯の香が口中に広がり、すぐに機嫌は回復する。
さざえを味わいつつも、隣の塩辛に箸先を進めようとした時だ。カウンターの向こうから「よっちゃん」と声が聞こえた。
 
「水割りにする?ロックでいく?」
「うーん。ロックで」
返事の変わりに鼻歌が聞こえてくる。人が一人入るのがやっとなぐらいの狭い向こうで、しゃりしゃりと音がする。
氷を丹念に丸く削ぐのはママの十八番だ。
小さな木桶に溜めた氷の塊は、2丁離れた氷屋からわざわざ取り寄せた物。
「岡田屋の爺ちゃん、元気?」
氷屋の主はかなりの高齢ときている。益田が子どもの頃には既に「岡じい」と近所の子ども等から呼ばれていた。
「うーん……。まあまあって、とこかな?」
「まあまあって?」
「いつもね、店の前にデイケアの車が止まってんの。お嫁さんが付き添ってね」
「ふーん」
「それでも一切、氷はなぶらせないって言うから」
「そこが職人気質だよね」
「そうね」
 
顔を上げてまわりを見渡すと、カウンター席の隅に老人が一人、ちびちびとやっている。
週の半ばは特に客の入りが少ない。
ひょいと腕を伸ばすと、益田は自分の隣に置かれたカセットラジオのつまみに触れてみる。
少し左にねじっただけで、急に音が大きくなる。店内に八代亜紀の「舟歌」が響き渡った。
「ちょっと」
「んあ?ごめんごめん」
「お隣さんに叱られちゃうじゃない」
目を吊り上げてママが怒る。ついでに、「こん」とグラスが置かれていく。
「いいじゃん、隣だってカラオケで煩いし」
薄い壁を通した向こうから、若い連中の馬鹿騒ぎの様子が筒抜けだ。
隣の壁にむかって、べえと舌を出すと益田は奥で飲んでいる老人に笑いかける。
こくこくと、老人も黙って賛同した。
「ほらあ、あそこの渋いジェントルマンも言ってることだし」
「安井先生に変な口の利き方をしないの」
「へっ」
安井と名前を聞くなり、益田の顔色が変わった。
安井先生と言えば、子どもの頃にはしょちゅうお世話になっていた所だ。
いつの間に、あんなにしょぼくれてしまって……と、自分事の様に凹む。
そういう自分も、いつの間にか年を重ねてしまったものだ。
「どこかで見た顔だなと思っていたら、酒屋さんとこの……」
「彰人(あきひと)の倅です」
実家を言い当てられて、益田はすこぶる恐縮した。
「ああ、大きくなったもんだねえ」
翁の様な白髪の老人は、そこではじめて益田の顔をじっくりと眺めた。
 
「ああー、いやー……図体ばかりで、中身はこのとおり何にも」
少6の夏に盲腸で世話になった事を思い出して、嫌な汗が吹き出してきた。
丁度、「下の毛」が生えてきたばかりの頃だったが、手術の際は必ず剃られると脅かされた。
診察の時にいた看護婦に剃られるかと思うと、どうしようもなく恥かしくなってしまい、
手術の前日に実家の蔵に隠れてしまったのだ。
あの後、親父に摘み出されて手術を受けたものの、そのあとどうなったのかは覚えていない。
麻酔が覚めた後に恐る恐る調べてみたら、10円禿げの様にそこだけきれいに削がれていた。
誰が削いだのか考えるのも怖くて、あれ以来この病院を避けるようになったのだ。
 
「ふっふ。この界隈では評判になってるよ。アンタの事は」
益田の感傷をよそに、老医者は益田の事を誉めてくる。
「すっかり灯の消えたこの街を復興させようって頑張ってるって話じゃないか」
「えっ、ああ……。そ、そんなにたいした事は」
照れくさくなって、慌てて目の前のウヰスキーを口に運ぶ。その様子を見て、ママも笑った。
「よっちゃん、おもしろーい。そんなに安井先生に頭があがらないなら、これから毎日先生に来てもらおうかしら」
「ちょっ、ママっ!」
手をたたいて喜ぶママにくってかかると、益田はその勢いでさざえに手を伸ばした。
しかし苛ついた気持ちが手元に伝わり、実の半分程でぶちきりとちぎれてしまった。
あーあと、ぼやきながら口に運ぶと、さざえ独特の苦味が口に広がる。
「ママぁ……」
子どもの様に甘えると、ママはすぐに感づいた様だ。さっと冷蔵庫から卵を取り出すと、それを益田に見せてやる。
「福生エッグ、焼けばいいんでしょ」

 
はい。と、益田は情け無い声で返事をした。
 



15話の1.ひとまずおわり。
ここから話が続きますーー。



 
 
 
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