花壇のわきに置いておいた作業道具を集めて荷台の上に積み込む。その上に収穫した物を積むと結構な高さになる。
「よっ、とっ、とっ、とっ、とっ……」
私の背をはるかに越えているから、前の方は何にもわからない。
思わずよろけそうになりながらなんとかバランスを保って、一輪車をゆっくりと押していく。
何度も往復してできた一輪車の轍(わだち)がずっと先の方まで続いている。部室までの道のりはけっこう長い。
「あっつー」
やっと陽が落ちて薄暗くなったグランドは、まだ熱気が十分こもっていた。
「小波おつかれー」
「どうもー」
丁度練習を終えたばかりの野球部員達がぞろぞろと群れをなして私を抜いていく。
すれ違う時に感じる湿布と汗の匂い。
おつかれさんなのは、きっと向こうの方だと思う。真っ黒に汚れたユニフォーム、背中が大きく波打っている。
「うっす、小波」
野球部のキャプテンが追い越しざまにぼそっと声をかけてくれた。
「あっ、先輩どうぞー」
ぺこりと頭を下げながら収穫したトマトを1つ渡すと、先輩はちらりと私をみる。
「俺、あんまりトマト食わないんだけど」
それでも私からトマトを受け取ると、先輩は「ありがとな」と短めに礼を言う。そしてまっすぐにクラブハウスに向かって歩いていく。
「こなみー」
今度は同じクラスの子が声をかけてくる。タカハシ君だ。立ち止まって振り返ると、白い歯がきらりと光った。
角刈りの頭がちょっと可愛らしい。つむじの所に小さな禿げがあって、いつも皆からいじられている。
「トマトいっぱいじゃん」
私の許可を待たずに、もう齧りついていた。
「どう?味は」
「……ああ。酸っぱい」
「やっぱり」
「でも、喰えるから良い」
「良かった」
他愛も無い会話。互いに疲れているからそれぐらいが良い。
「そういえばさあ、こなみー」
「うん?」
「テスト週間って今度の水曜からだっけ?」
タカハシ君は唇の右端にトマトの小さな種をつけていることも気付かない。
とってあげたいけれど、そんなことをしたら、またさっきの守村くんみたいになっちゃうからやめておこう。
「そうだけど」
「やっぱそうかあ……」
テストの話になると、みんな決まって不機嫌そうな顔になる。少し剃りすぎた眉を引きつらせて、タカハシ君は小さくため息をついた。
「じゃあ野球部はしばらく休み?」
「たぶん」
籠の中からもう1つ、つまみ食い。お腹空いてるのかな。
ちなみに私のクラブは休みが無い。厳密に言えば、年中無休。
放っておいても育つものもあるけれど、少しでも手を抜いたら枯れてしまうものも多いから。
「俺はテスト週間に入る前から休みが決定。つか、明日からもう来るなって言われた」
「なんで?」
「なんか肩壊したみたいでさ」
「そうなんだ……」
彼の言葉に内心動揺した。タカハシ君はこのクラブで随分期待されている選手だ。
期末週間が過ぎたら地区予選大会がすぐにはじまると言うのに。
「この前からずっとなんか調子わりいな、って思ってたんだけど」
「うん……」
「さっきもベンチのところで冷やしてたら監督がやってきてさ、
明日からは1年の日比谷に投げさせてみるって言いやがってさ。
予想ついてたんだけど。なんかすっげえ腹立ってきてさ」
「うん……」
こんな時、なんて言ってあげたらいいのか分からなくなる。
慰めてあげたくても、全く言葉が思いつかない。
すぐに治るとか、大丈夫とかそんな適当な事を相手に言って良いのかもわからない。
「けどさ、監督の前でキレずに済んだ」
「そっか。それは賢明な選択だと思う」
「だろ?ま、小波のおかげでもあるんだけどね」
「へっ?」
これで何度目の「へっ?」になるんだろう。今日は不思議と驚かされることが続いてる。
「オマエだろ?ピアノ弾いてたの」
ピアノ?ピアノって何?ピアノって、もしかすると……。
「あん時、小波のピアノが聴こえてきてさ」
「ええっ?!」
びっくりして思わず荷車から手を離してしまった。その瞬間、一輪車はバランスを崩してぐらりと右に傾いた。
「うおおおー!!」
咄嗟にタカハシ君が崩れそうな荷物をがしっと体で受けとめてくれた。それも故障している肩で。
まわりの後輩君たちも気付いてくれて、私たちの周りをわっと取り囲む。
いがぐり頭をつきあわせて、地面にちらばったトマトを一生懸命に拾い始める。
「すみません!すみません!」
謝っているうちに、あっと言う間に一輪車は元の状態に戻っていた。
そして代わりに彼らが押してくれている。それも馬のような速さで。
「あ、それは私が」
押していきますから。そう言いたかったのだけど、とっくに一輪車は見えなくなっていた。
「ごめん……」
「いいんじゃない別に」
「ありがとう……」
「それはあいつらに伝えて」
「はい……」
驚いて反省して感謝して。いっぺんに色々な感情が混ざり合って、とても複雑な気持ちになる。
手ぶらになった私は、このままクラブハウスまで一緒に歩いていった。
クラブハウスに着くまでの間、タカハシ君はふと耳にしてしまった私のピアノについて、色々と語ってくれた。
とにかく変で、ちょっと面白くて、でも最後まで聴きたくなる音。
そういえば、守村くんもさっき同じ様なことを言ってくれたっけ……。
「よっ、とっ、とっ、とっ、とっ……」
私の背をはるかに越えているから、前の方は何にもわからない。
思わずよろけそうになりながらなんとかバランスを保って、一輪車をゆっくりと押していく。
何度も往復してできた一輪車の轍(わだち)がずっと先の方まで続いている。部室までの道のりはけっこう長い。
「あっつー」
やっと陽が落ちて薄暗くなったグランドは、まだ熱気が十分こもっていた。
「小波おつかれー」
「どうもー」
丁度練習を終えたばかりの野球部員達がぞろぞろと群れをなして私を抜いていく。
すれ違う時に感じる湿布と汗の匂い。
おつかれさんなのは、きっと向こうの方だと思う。真っ黒に汚れたユニフォーム、背中が大きく波打っている。
「うっす、小波」
野球部のキャプテンが追い越しざまにぼそっと声をかけてくれた。
「あっ、先輩どうぞー」
ぺこりと頭を下げながら収穫したトマトを1つ渡すと、先輩はちらりと私をみる。
「俺、あんまりトマト食わないんだけど」
それでも私からトマトを受け取ると、先輩は「ありがとな」と短めに礼を言う。そしてまっすぐにクラブハウスに向かって歩いていく。
「こなみー」
今度は同じクラスの子が声をかけてくる。タカハシ君だ。立ち止まって振り返ると、白い歯がきらりと光った。
角刈りの頭がちょっと可愛らしい。つむじの所に小さな禿げがあって、いつも皆からいじられている。
「トマトいっぱいじゃん」
私の許可を待たずに、もう齧りついていた。
「どう?味は」
「……ああ。酸っぱい」
「やっぱり」
「でも、喰えるから良い」
「良かった」
他愛も無い会話。互いに疲れているからそれぐらいが良い。
「そういえばさあ、こなみー」
「うん?」
「テスト週間って今度の水曜からだっけ?」
タカハシ君は唇の右端にトマトの小さな種をつけていることも気付かない。
とってあげたいけれど、そんなことをしたら、またさっきの守村くんみたいになっちゃうからやめておこう。
「そうだけど」
「やっぱそうかあ……」
テストの話になると、みんな決まって不機嫌そうな顔になる。少し剃りすぎた眉を引きつらせて、タカハシ君は小さくため息をついた。
「じゃあ野球部はしばらく休み?」
「たぶん」
籠の中からもう1つ、つまみ食い。お腹空いてるのかな。
ちなみに私のクラブは休みが無い。厳密に言えば、年中無休。
放っておいても育つものもあるけれど、少しでも手を抜いたら枯れてしまうものも多いから。
「俺はテスト週間に入る前から休みが決定。つか、明日からもう来るなって言われた」
「なんで?」
「なんか肩壊したみたいでさ」
「そうなんだ……」
彼の言葉に内心動揺した。タカハシ君はこのクラブで随分期待されている選手だ。
期末週間が過ぎたら地区予選大会がすぐにはじまると言うのに。
「この前からずっとなんか調子わりいな、って思ってたんだけど」
「うん……」
「さっきもベンチのところで冷やしてたら監督がやってきてさ、
明日からは1年の日比谷に投げさせてみるって言いやがってさ。
予想ついてたんだけど。なんかすっげえ腹立ってきてさ」
「うん……」
こんな時、なんて言ってあげたらいいのか分からなくなる。
慰めてあげたくても、全く言葉が思いつかない。
すぐに治るとか、大丈夫とかそんな適当な事を相手に言って良いのかもわからない。
「けどさ、監督の前でキレずに済んだ」
「そっか。それは賢明な選択だと思う」
「だろ?ま、小波のおかげでもあるんだけどね」
「へっ?」
これで何度目の「へっ?」になるんだろう。今日は不思議と驚かされることが続いてる。
「オマエだろ?ピアノ弾いてたの」
ピアノ?ピアノって何?ピアノって、もしかすると……。
「あん時、小波のピアノが聴こえてきてさ」
「ええっ?!」
びっくりして思わず荷車から手を離してしまった。その瞬間、一輪車はバランスを崩してぐらりと右に傾いた。
「うおおおー!!」
咄嗟にタカハシ君が崩れそうな荷物をがしっと体で受けとめてくれた。それも故障している肩で。
まわりの後輩君たちも気付いてくれて、私たちの周りをわっと取り囲む。
いがぐり頭をつきあわせて、地面にちらばったトマトを一生懸命に拾い始める。
「すみません!すみません!」
謝っているうちに、あっと言う間に一輪車は元の状態に戻っていた。
そして代わりに彼らが押してくれている。それも馬のような速さで。
「あ、それは私が」
押していきますから。そう言いたかったのだけど、とっくに一輪車は見えなくなっていた。
「ごめん……」
「いいんじゃない別に」
「ありがとう……」
「それはあいつらに伝えて」
「はい……」
驚いて反省して感謝して。いっぺんに色々な感情が混ざり合って、とても複雑な気持ちになる。
手ぶらになった私は、このままクラブハウスまで一緒に歩いていった。
クラブハウスに着くまでの間、タカハシ君はふと耳にしてしまった私のピアノについて、色々と語ってくれた。
とにかく変で、ちょっと面白くて、でも最後まで聴きたくなる音。
そういえば、守村くんもさっき同じ様なことを言ってくれたっけ……。
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