GS小話 button (尽)
家を出ようとした時、玄関先の壁掛けカレンダーに眼を留めた。
朝から良く晴れているみたいだけど、狭い玄関の中はとても薄暗い。
おかげで日付を確かめたくても、何となく見えづらい。
一歩踏み出して眼を近づけると、後ろから「大安」と声がかかった。
「大安かあ、いいなあ」
あたしのときは仏滅だったよ。背中越しに聞こえるその声が、ちょっと嬉しそうだ。
振り返ると姉さんが、顔中に笑みを浮かべて立っていた。
「忘れ物はなーい?」
うんと背伸びして、頭のてっぺんから爪先まで目線を動かす。
そして今度はゆっくりと目線を上にあげる。
最後に胸ポケットを指して、姉さんは「ハンカチは?」とたずねた。
「いらね」
「えっ?いるよ絶対」
大きな眼がくるりと動く。
「いらないって」
つっけんどんにつき返すと、姉さんは「ええー」と顔をしかめた。
「泣いちゃうよ」
最後に声を潜めて、こう付け足した。昔から尽は泣き虫だったでしょ、と。
姉さんの声を聞こえないふりして、俺は玄関の戸を開いた。
それまで薄暗かった空間に、山吹色の光が一気にさしこんでくる。思わず目を細めた。
たぶん、同時に花粉も入れ込んだのだろう。戸を閉めると同時に、姉さんは派手にくしゃみをした。
今日は大安。偶然、自分の卒業式は吉日と出たが、そんな事はどうだっていい。
朝から沢山の、それも退屈な祝辞を長々と頂戴する。型どおりの行事をどうにか早く済ませたかった。
とにかく卒業したい。
お辞儀も拍手をするタイミングも全て外して、パイプ椅子の上でじっと座り続けた一時間半。
最後に退場の号令がかかった時も、俺は人より数秒遅く立ち上がった。
整列して講堂を出ると、俺はやっと終わったと背伸びをした。
卒業だからと言って涙は出なかった。特別に感傷にも浸らなかった。
代わりに、数人の女の子が俺の為に泣いてくれた。
卒業するまでそんなに話をした事も無いのに、ある子は顔をくしゃくしゃにして泣いた。
他には初めて会う下級生の子からも、泣かれた。
まわりの奴等はそれを見て面白がっていたけど、俺は正直迷惑だった。
俺に何を想って、そんなに泣けるんだろう。
たぶん、好きとかそういう気持ちがあったのかもしれないけど、
これといった想い出も無いのに、いきなり感情をぶつけられてもどう対応したらいいのか分からない。
教室で担任から最後の挨拶を聞いた後、俺はすぐに学校を出た。
校門を出てから、一度も振り返ることは無かった。
ただ、いつもの下校とは違って手荷物がやたらと軽いのは少し違和感を感じた。
参考書をぎゅうぎゅうに詰めた鞄の変わりに、証書が入った長筒が一つ。
それは中学から高校へのバトンだと思う。そう思うと、急に重みを感じる。
高校で上手くやっていけるのだろうか。今より、少しは自分に自信が持てるのだろうか。
漠然とした不安に、ずんと気が沈みそうになる。
少しでも気を晴らそうと空を見上げた時だった。「尽」と聞き慣れた声が聞こえて、俺は立ち止まった。
数時間前に玄関先で別れた姉さんが、坂の途中で軽く手を振っていた。
緩やかな下り坂の向こうには、海が見えた。
遠くからでも、水面に春の陽射しが当たってきらきらと輝いているのが見える。
小走りに俺の所まで駆け寄ると、姉さんは「おかえり」と声をかけた。
「早かったね」
走ったせいで、姉さんは少し息苦しそうだった。
ここへ来るまでにコンビニに寄ったのか、ペットボトルが入ったビニール袋を提げていた。
「飲む?」
こっちは炭酸で、こっちはお茶だけど。両方を手にして、姉さんはにこりと笑った。
「ああ」
ひょいと炭酸の方を取ると、「あっ」と姉さんは声をあげた。
たぶん、姉さんもそっちの方が飲みたかったのだろう。
構うことなく先に口をつけると、姉さんはぷいと顔を横に反らした。
「何で来るんだよ」
知ってるやつに見られたくないんだよ。嫌々そうに言ったものの、大した反応は返ってこなかった。
「そっちだって、何か用事があるんだろ?」
春休みになって暇だからって、来るんじゃねえっつーの。心の中で毒づくと、俺は歩くのを早めた。
「だってさ、今日はお祝いだよ。尽が中学を無事に卒業できたんだよ。
記念に写真でも撮ってあげようと思ってきたのに…」
「大袈裟だよ」
「大袈裟じゃないよー」
のんびりとした口調で反論すると、姉さんはひょいと手を伸ばして長筒を取り上げた。
「姉ちゃん!」
今にもここで証書を取り出すのではと心配になる。
人前で中身を読み上げられたりでもしたら最悪だ。
案の定、「ぽん!」と勢い良く筒の蓋が開く音が聞こえた。
「返せ」
きっと睨みつけると、向こうも俺の顔を睨みつけた。負けずに睨み返すと、姉さんは「はあ」とため息をついた。
「尽」
蓋をきちんとしまうと、姉さんは長筒を返した。
「お姉ちゃん、海、行きたいな」
「はあ?」
「ねっ、お家帰る前に、一緒に海見に行こ?」
海なんか一人で勝手に行け。そう言おうと思った。
だけど、俺を見る姉さんの眼が何だか凄く寂しそうに見えて、何も言えなくなってしまった。
代わりに俺は、海岸に出る近道を先に歩き始めた。姉さんは黙って後をついてきた。
遠くからは穏やかに見えた海は、近づいてみると波が少し荒れていた。
その波間の水面をすれすれに、鴎が数羽飛んでいる。
鴎が飛ぶ先の沖合いには、貨物船がゆっくりと通過していくのが見えた。
「冷たいかな」
引いていく波に駆け寄り、手を伸ばす。少しも待たないうちに、波が寄せていく。
「きゃっ」
指先だけを濡らすつもりでいたのに、波の方が速かった。
足元までしっかりと濡らして、姉さんは「冷たーい」と顔をしかめた。
「当たり前だよ」
相変わらず、ドジだな。呆れる思いでそう返すと、姉さんは「えへへ」と笑った。
「尽とここに来るのって、何年ぶりかな?3年?5年かな」
姉さんは話を続けた。
「この町に越してくる前は、海なんて行った事が無かったもんね。
はじめてここに来た時なんか、尽、凄くはしゃいでたよね」
昔のことを思い出したのか、姉さんは一人で笑った。
「覚えてないよ」
「そう?覚えてないんだ。ふーん」
一瞬だけ悲しそうな顔をしたものの、姉さんはすぐに穏やかな表情になった。
「小さい時のことなんか…忘れちゃう…よね」
波の音に消えてしまうぐらいの小さな声だったのに、心にずしんと響いた。
朝からずっと反抗している自分が、子供みたいで嫌だなと思った。
「今日のことは忘れないよ」
姉さんの隣に並んで腰を下ろす。潮風でかじかんだ指先を砂浜で温める。
「うん。私も忘れない」
海を見つめたまま、姉さんはそう答えた。
中学の…いつぐらいだったか。急に、全てのことに対して投げやりな気持ちになった。
何が原因だったのか、自分でもよく分からない。
気がついたら、所属していたクラブを辞めて、学校に帰ると毎日部屋に閉じこもっていた。
誰に対しても不満を感じて、あまり関わりたく無かった。
本当は進学もしたくないと思った時期もあったけれど、何とか受験して、運良く志望校に受かっていた。
少し気持ちが晴れてきたのは、数日前からだ。
たぶん、今の自分に卒業できるかもしれないと思ったからだと思う。
「俺さ、高校に行ったら、またクラブ入るよ」
「ほんと?!」
それまで海を見ていた姉さんは、驚いた顔で俺の顔を見つめた。
「ああ。まだどのクラブにするか決めてないけど」
「じゃ、野球部なんかどう?結構強いよ」
「今から野球なんて始めても、もう遅い」
「じゃ、吹奏楽部とか」
「全然趣味じゃない」
「じゃあ」
「自分で決めるって!」
思わず強い口調で言い返すと、姉ちゃんは黙った。そして少し間を置いた後、「ごめん」と呟いた。
「別に…姉ちゃんが謝ることじゃないよ」
気まずい沈黙が流れる。そろそろここを出ようかと、立ち上がろうとした時だった。
ぐすっと鼻をすする音が聞こえた。いつの間にか、姉さんの眼から涙が溢れていた。
「どうして泣いちゃうのかなあ」
そう言いながら、俺は内心酷く動揺していた。
姉さんを、それも6つも年の離れた人を泣かしたのは生まれてはじめでだった。
姉さんの言うとおり、子供のときは泣き虫だった。
ささいな事ですぐに泣いて、その度に姉さんに宥められた。
少し前に学校で、自分の前で泣いていた子達の顔を思い出し、今更になって胸が痛んだ。
「あのさ」
なかなか涙が止まらない姉さんが、自分より幼く見えた。
海を背にして向き合うと、俺は姉さんの肩に触れた。
「もう、泣かないで」
これからは、一人で頑張っていけるよ。大丈夫だから、そんなに心配しないで。
なるべく優しく、肩を撫でてみる。姉さんは「うん」と頷いた。
午後を過ぎると、海は更に荒れた。次第に強くなる潮風をまともに受けながら、俺達は浜を出ることにした。
波消しブロックの脇の側道に、姉さんの濡れた靴の足跡が続いた。
「ねえ、尽ぃ」
背中越しに、ちょっと甘えるような姉さんの声。
振り返る事無く、「うん?」と返すと、「あのね」と姉さんは話を始めた。
「今日の事、ずっと良い想い出にしたいな」
「あ?ああ。そうだね」
たぶん二人して、この海を一緒に眺めるなんて事は、もうこの先無い様な気がする。
潮干狩りや海水浴を家族で一緒に楽しむ時間は、子供の頃で卒業した。
それ以外の目的で海に行くのは、連れて行く相手が家族ではなく、それ以外の方がしっくりくると思う。
友達とか、もっと自分が成長したら彼女を作って、一緒に海を見ているのかもしれない。
そう思うと、今二人で歩いているこの時間も、大切な時間なんだろうな。
少し感傷的な気持ちになる。
小さくため息をつきながら歩いていると、狭い側道は自然に車道に繋がっていく。
静かに家に向かって歩いていると、「そうだ!」と姉さんが声をあげた。
「ねっ、尽!」
涙がすっかり乾いたものの、姉さんの眼はまだ赤かった。
「お姉ちゃんにボタン、プレゼントして」
横にぴたりとついて、俺の制服のボタンを指した。
「はっ?!」
「ボタン。尽の、第二ボタンが欲しいの」
卒業式に女の子が、好きな奴の制服のボタンを…それも上から二番目のボタンをもらうと
恋が叶うとか言う噂があるのは薄々知っていた。
事実今日も、数人の女子から「ボタン下さい」って言われたけど、俺は全部断った。
何で好きでもない奴に、あげる必要があるんだ。
まわりはそれで男としての自分の価値が上がるとか言っていたけれど、
俺はそういうのに流されるのが嫌だった。
だけど、姉さんが俺のボタンを欲しがるってどういう事だろう。何で弟の俺なんかのボタンを。
「理由は?」と聞くと姉さんは恥ずかしそうな顔をした。
「尽の卒業記念、ほしいなあって」
だめ?やっぱりだめ?ほしいなあ、ほしいなあ…。
どこでそんなねだり方を覚えてきたのだろう。
潤んだ瞳で、そんなにじっと見つめられたら「いやだ」って言えないじゃないか。
一瞬、相手が姉だと言うことを忘れてしまうほど、俺は内心どきどきしていた。
「しょうがないなあ…」
失くしたら承知しないぞ。そろそろと、二番目のボタンに手をかけてみる。
傾きかけた陽射しをうけて、ほんの一瞬、ボタンはきらりと光った。
FIN
あとがきは、「つづきはこちら」から
Postscript
…尽と姉ちゃん。この前ですね、公園で散歩していたら、ちょうどその日が卒業式だったのかな。
胸ポケットに小さな花を添えた男の子達が三人、公園の中に入ってきまして。
見た感じ、中学生かなあと思いました。おでこのあたりににきびがちらほら。
真ん中を歩いていた男の子の制服のボタン、ところどころ無くなっていました。
わあーいいなあ。どんな子に「下さい」って言われたんだ?やっぱ最後は告られたんか?
ぎゃー青春だー、すっぺーなー。すっぺーーー。
職場の(幼稚園の)こどもたちとお弁当を食べながら、
そばにいた先生と「ええなあ、ええなあ」と盛り上がっておりました。
はい、スミマセン!(これからは中学生にうつつを抜かす事無く仕事に励みます!)
このすっぺー(酸っぱい)気持ちをどこかで昇華せねば。
そんなことを思っておりましたが、先日にも御紹介した「つくたま遊び」での絵板に、
智さんがすんごい萌え~な尽を描いて下さってて。
やべえよ、学ランだよ、詰襟だよ、これは尽からボタンもらわないかんでしょー、と。
今日は晩御飯を食べた後から集中して、この話を書きました。
この話、図々しくも、智さんに捧げますです。
智さん、お話書かせて下さって、本当にありがとうございます!
あと、第二ボタンの写真はATELIER M様の素材をお借りしました。こういう素材はなかなか見つからないので
本当にありがたい。近所の衣料用品店へボタンを買いに行こうかと思いましたよ。
海の写真は、去年の春に撮ってきたもの。一人で車を走らせ、海で一日ぼーっとしてました。
頭の中で荒井由美(松任谷由美)の「海を見ていた午後」を思い出し、ちょっとセンチに。
胸ポケットに小さな花を添えた男の子達が三人、公園の中に入ってきまして。
見た感じ、中学生かなあと思いました。おでこのあたりににきびがちらほら。
真ん中を歩いていた男の子の制服のボタン、ところどころ無くなっていました。
わあーいいなあ。どんな子に「下さい」って言われたんだ?やっぱ最後は告られたんか?
ぎゃー青春だー、すっぺーなー。すっぺーーー。
職場の(幼稚園の)こどもたちとお弁当を食べながら、
そばにいた先生と「ええなあ、ええなあ」と盛り上がっておりました。
はい、スミマセン!(これからは中学生にうつつを抜かす事無く仕事に励みます!)
このすっぺー(酸っぱい)気持ちをどこかで昇華せねば。
そんなことを思っておりましたが、先日にも御紹介した「つくたま遊び」での絵板に、
智さんがすんごい萌え~な尽を描いて下さってて。
やべえよ、学ランだよ、詰襟だよ、これは尽からボタンもらわないかんでしょー、と。
今日は晩御飯を食べた後から集中して、この話を書きました。
この話、図々しくも、智さんに捧げますです。
智さん、お話書かせて下さって、本当にありがとうございます!
あと、第二ボタンの写真はATELIER M様の素材をお借りしました。こういう素材はなかなか見つからないので
本当にありがたい。近所の衣料用品店へボタンを買いに行こうかと思いましたよ。
海の写真は、去年の春に撮ってきたもの。一人で車を走らせ、海で一日ぼーっとしてました。
頭の中で荒井由美(松任谷由美)の「海を見ていた午後」を思い出し、ちょっとセンチに。
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尽!!!(T3T)
2008/03/19(Wed)
res
カオポンさん!!カオポンさん!!!素敵なお話を
私なんかに有難うございます!!!
青いな、若いな!!初々しい!!!尽のこと、もうぎゅってしてやりたいくらいです!!!
このお年頃(中学とか高校生)って微妙ですよね。その微妙なお年頃をカオポンさんは優しく丁寧にいつも描かれていて、「ああ、私も頑張ろう」って思ってました。
ハイジャンプも頑張ります!!!!カオポンさんに負けないぞ☆(すでに負けておりますよ…北瀬さん。)
こちらのSS頂けるのでしょうか?!!!
大事にします!!!!わ~んvvv
カオポンさん、本当に有難うございましたvv
私なんかに有難うございます!!!
青いな、若いな!!初々しい!!!尽のこと、もうぎゅってしてやりたいくらいです!!!
このお年頃(中学とか高校生)って微妙ですよね。その微妙なお年頃をカオポンさんは優しく丁寧にいつも描かれていて、「ああ、私も頑張ろう」って思ってました。
ハイジャンプも頑張ります!!!!カオポンさんに負けないぞ☆(すでに負けておりますよ…北瀬さん。)
こちらのSS頂けるのでしょうか?!!!
大事にします!!!!わ~んvvv
カオポンさん、本当に有難うございましたvv
つくたま祭りばんざーい
2008/03/22(Sat)
res
こんにちは~智さん。どうも書き込み有難うございます。尽もたまおも、高校生。何だか感慨深いですね~。
毎日、つくたま遊びに行っては、すごーーーく癒されております。この数日、物凄く心身ともに疲れてまして。でも、一日一回でも祭り会場に足を運ぶと少しでも癒されて…どんな強壮剤よりも最強です!!
智さんの作品、いつみても感動しております。
今回は、その感動を衝動的にこんな感じに話を書いてしまいました。書かせて下さって本当に有難うございます。そしてこんな話ですが、よかったらどうぞです。
いつもいつも素敵な作品と暖かい心遣いをして下さる智さんに、感謝をこめて!
毎日、つくたま遊びに行っては、すごーーーく癒されております。この数日、物凄く心身ともに疲れてまして。でも、一日一回でも祭り会場に足を運ぶと少しでも癒されて…どんな強壮剤よりも最強です!!
智さんの作品、いつみても感動しております。
今回は、その感動を衝動的にこんな感じに話を書いてしまいました。書かせて下さって本当に有難うございます。そしてこんな話ですが、よかったらどうぞです。
いつもいつも素敵な作品と暖かい心遣いをして下さる智さんに、感謝をこめて!
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