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通勤客で隙間無く埋め尽くされた車内の中、吊るされた広告版が小さく揺れはじめた。
緩やかなカーブに添って、3両編成の鈍行列車が海沿いをゆっくりと進んでいく。
それまで居眠りを決めていた斉藤は、ゆっくりと顔をあげる。深酒のせいで頭が酷く痛い。
スーツのポケットから小瓶を出すと、まだ半分ほど残っている液体をゆっくりと口に含む。
瓶口から漂うかすかな薬草の香りが、弱った胃壁を刺激する。
丁度胃底のあたりを擦りながら、全てを飲み干す。空になった小瓶をポケットに仕舞うと、斉藤は大きく溜息をついた。

昭和の終わりに開通した「はばたき線」は、海沿いにそって南北に50キロ弱の路線を結んでいる。
始点から終点まで17ある駅のうち、「新はばたき駅」はちょうど真ん中のあたりに位置する。
山と海に囲まれたこの街は、駅を中心に随分栄えているが、数キロ先の次の駅にさしかかるとすぐに景色は様変わりする。
元は農業と漁業が盛んな田舎町だ。線路が敷かれてもそれはさほど変わらない。
寒色のビジネスコート、ウールのセーター。無表情な顔で吊革に手をかける乗客の隙間から、かすかに赤い色が揺れている。座席に腰掛けた目線からすると、あれは子どもだ。
「おい」
斉藤は立ち上がると、赤い色に向かって声をかけた。



電車の扉窓に額をぎゅうと押さえつけるような格好で、斉藤は残り2つの区間をやり過ごすことにした。
背を向けた方向から、子供の喋り声が聞こえる。たぶん席を譲った子どもだろう。
同じ学校に通う友達を見つけたのか大声で名前を呼んでいる。
うるせえな、ガキ。いつまでも馬鹿みたいに騒いでると頭叩くぞ。
子どもだから譲った。だが、子どもは嫌いだ。
それも、こんな二日酔いの朝にあんなキンキン声で騒がれちゃ、たまったものではない。
席なんか譲らなきゃ良かった。くしゃりと手で顔を覆っ後、斉藤は「ふうー」と鼻息を窓かける。
そして、熱気と鼻息で一面に曇った窓に手を滑らせる。僅かだが、そこだけ風景がはっきりと色を持って斉藤の目に飛び込んできた。

それまで見えていた海岸は消え、代わりに赤茶色の農地が広がっていた。収穫を終えて休耕する農地の中にぽつぽつとビニールハウスが点在する。
温暖な気候の特色を生かして、この辺りは菊や蘭など観賞花の栽培や苺の栽培が盛んだ。
代々農業を営む斉藤の実家も、苺の出荷で忙しい。今朝方、斉藤の下に届いた携帯メールは実家からだった。それもただ一言、「収穫を手伝え」と。
--------だーれが、苺なんか摘んでやるか。
子どもの頃からこの時期になると、毎日苺の収穫を手伝わされた。夜明け前に起されると、ビニールハウスの隣にある倉庫で出荷の作業を手伝わされる。
倉庫の中は極寒だ。暖かいのはハウスだけ。摘み取る作業は大人の分担、箱詰め作業は斉藤の分担と物心ついた時からそれは決まっていた。
摘み取られた苺を形良く箱の中に詰めていくのだが、収穫した物は形と大きさを見て細かく分けていく。
果物屋に並ぶ贈答用の苺が全て向きを揃えてきっちりと収まっているが、それは全て人の手に関わっている。斉藤は誰よりも手際よくその作業をする事ができるのだ。
今ではハンカチの皺がくしゃくしゃになろうと全く気にもとめない男だが、元は几帳面な性格だ。
斉藤がまだ2つか3つの頃、正月に大勢の親戚が集まった際、盛大に脱ぎ散らかした客の靴を、客が酒盛りしている間に一人で全て並び直したらしい。
大人ばかりで遊びに飽き足りていたからこそ、自然に生まれた遊びであったが、それを見た大人たちは驚愕した。
男物と女物、若者から老いている者。おもちゃとして扱った客の靴は、見事に分類されていたのだ。
「この子は苺で成功するよ」
親戚の誰かがそう言って斉藤を誉めた。酔った雰囲気の中でそう言ったに違いないが、斉藤の親はその言葉を真に受けた。
丁度、ビニール栽培で何か作ろうと考えていた時だったのだ。


それ以来、冬が近付いてくると、斉藤は滅入った。はじめは面白く感じた苺の仕分けも、自分が成長するにつれ面白味は薄れた。
遊びでは無い。家族の生計に関わっていると子どもながらに現実を悟ったのだ。
そして、苺の栽培が自分の将来に深く関わってきそうな予感がした。
----苺なんて見たくもねえ。
高校を卒業したと同時に実家を離れたのは、そういった理由だった。
親は農業専門の大学に進学させたがったが、それも頑なに拒んだ。見かねた父親が受験を強制した為、ますます嫌になった。
結果、受験は失敗し浪人。斉藤はそれを機に、一人で就職を決めてしまったのだ。そこが入社三ヶ月で倒産するとは知らずに……。

額をつけていた扉が、がたっと音を立てた。駅に着いたと気づくと、斉藤は扉から離れた。
その瞬間、扉が開く。斉藤に続いて4、5人の客が続いて降りていく。
わずかな定着時間を使い切ると、列車はホームを離れていく。ベンチに深く背をもたれかけさせた姿勢で、斉藤は列車を見送った。
改めて腰を下ろしてみると、まだ胃の辺りが辛い。
-----どんだけ飲んだんだよ、俺。
目を瞑り、昨日ことを一部始終思い出そうとするものの、殆どの記憶が曖昧だ。
一番新しい記憶は、深夜の1時。三件目の居酒屋のトイレで2度ほど嘔吐した。便座につっぷして、そのまま眠った。
それより前は…前の晩の11時ぐらい。同僚の「高木」と赤提灯で酒を飲んだ。たぶん、昨日の「あの事」がネックになってたと思う。随分高木に話しを聞いてもらった。
ただ、高木に何をアドバイスされたのかは覚えてないし、あいつも俺が何を愚痴ってたのか覚えていないだろう。
それより前は。
銀行の預金残高がマイナスになっていたこと、家に戻ったら高校の時の連れが結婚したと葉書で知ったこと、玄関のチャイムがピンポンと鳴ってうっかり出てしまったら、宗教の勧誘でうんざりしたこと、それからそれから……。
少しずつ記憶が戻るにつれ気持ちが酷く滅入っていく。
そうだ。あれだ。俺がこんなに二日酔いで苦しむのも、元はと言えば全部アイツのせいだ。
アイツの…、アイツのあんな一言さえなかったら、俺は。
それ以上の記憶の再生を、できる事なら止めていたかった。しかし「アイツ」という言葉が頭の中に浮かんだ時点で、斉藤は止めることができなくなっていた。
激しい頭痛と目の奥に宿る少女の残像。
暮れて行く景色の中に、斉藤は自分と少女の姿を探す。
少女はベンチに座り、斉藤を見つめていた。お得意の軽い雰囲気で声をかけたつもりだった。
もう何度も使った手口だ。

君可愛いね、何しているの、あ、びっくりした?したよね、したよねごめんごめーん。
いやあ、君凄く可愛いから、お兄さんちょっと声かけたくなっちゃったんだよね。ああ、怖がらなくても良いよ、お兄さん何にもしないからさ。

この言葉をとにかく叩きつける。相手がびびって逃げ出さないように、まずは「君が可愛い」って事を向こうのイメージに叩きつける。女は可愛いと言う言葉に弱い。きれいより、可愛い。若かろうか御婦人だろうが、年は構わない。これで大抵の女は俺の話しを聞いてくれる。くれるはずだった。
あの時、俺が間違わなかったら。

君、可愛いね……。

どうして俺、そこで止めてしまったのだろう……。
斉藤はそこまで思い出すと「そんなのありえねえ」と呻いた。





第二話 おわり




実家は苺農家。あたらしく、こんな要素を斉藤に足してみました。この苺が後に関わってきますよ。



昨日は応援拍手ありがとうございました。ハイヂさん、ありがとうね~。

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