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「いったいどうしたもんだろうねえ、たーちゃんは。
2年ぶりに会えたって言うのに、さっきからずっと怒ってばかりだよ。
こどもの時のたーちゃんは、そりゃあ優しい子で、おとなしかったなあ。
だれに話しかけられても黙ってニコニコ笑っててな。
たーちゃんは人とお話するより、大根やジャガイモにむかってブツブツと喋ってたな。
ほら、あれ、たーちゃんが二年生の時かね、学校のクラスの子達に苛められて泣いて帰ってきたことが」

「煩せえっ!黙ってやれ!この……」
糞婆あと、最後に付けたかったが、それだけはぐっと口にするのを堪えた。
かわりに目の前に青々と生えた大根の葉をぎゅっと鷲掴みにすると、斉藤は勢い良く土の中から引き抜く。
土の中から出てきた大根は、思ったよりも細長い。
「たーちゃん、大根の首が太いのをみつけて選ぶと良いのよー。
そうしたら、太くで大きいのだからね」
煩せえと罵られたばかりなのに、隣の畦から、また声がする。ああもう!と、斉藤は心の中で唸った。


降りた駅から歩くこと30分。赤黒い土の中から、青々と茂る大根菜。
広大な農地の一画、斉藤は実家の畑にいた。
羽織っていたスーツの上着は荷物車の助手席に預け、シャツの袖をまくって渋々と収穫を手伝う。
どうしても今日明日中に、この大根を全て収穫しなくてはならないのだ。

「悪いねえ、たーちゃん。婆ちゃん、明日の朝にはお迎えが来るからさあ、どうしても全部抜いて欲しいのよ」
だからお願いねえ、と手を合わせて老婆は笑う。
あの世からお迎えに来てもらえるなら願ったり敵ったりだが、そんな気の利いたところでは無い。
向かう所は特別養護老人ホーム。略して「特老」。
斉藤の祖母は、今年の春からそこで暮らしているのだ。
二年前に夫を看取って以来、少しずつ認知症が進んでいる。徘徊や不潔な事はしないが、それまでの記憶は全て曖昧な状態になってしまった。
自分の夫や息子、親戚や嫁の名前は全て忘れた。
ただし、孫の「たーちゃん」こと、斉藤の事は異常な程に覚えている。
生まれた日の時間、身長と体重、下の歯が生えた日のこと、はじめて歩いた時のこと……家族の者が殆ど忘れてしまっているような事でも鮮明に覚えている。

口に出してこそは言わないが、彼女は斉藤家にとって一番の厄介者だ。
ただし、斉藤家の財産の殆どは、全てこの老婆が権利を持っている。
呆けるまでは、相当計算のできる、しっかり者だったらしい。
今でも銀行に預けた7つの通帳の残高を、1円単位で覚えている。
どれだけ呆けても、これだけは。
先祖様から受け継いだこの山と土地だけは、死ぬまでちゃんと、面倒見なくては。
彼女の几帳面な性格だけが、頑なに守られているのだ。

ちなみに斉藤の几帳面さは、祖母から譲り受けたと言ってもおかしくない。
息子をはじめ、親戚一同はみな、祖母の財産をあてにしている。
その為、彼女が気まぐれに畑のことを気にかけた時だけ、家で面倒を見てやっているのだ。
そして今日、斉藤が手伝いに使わされたのもその為である。
明日の朝になれば、白いワゴン車が一台。こちらに寄越してくる。
老婆はそれに乗り込むと、暫く家には戻ってくる事は無い。おそらく、来年の正月までは向こうに行ったきり帰れないだろう。

「たーちゃん。アンタ、もう幾つになった?」
お嫁さんは、まだもらわないの?たーちゃんがお嫁さんもらったら、ばあちゃん、この土地もお山も全部アンタにあげるからさ。孝行しておくれよ。
小さい体を、もっと小さく屈めながら老婆は作業を進める。
「いらねえよ、土地なんてさ」
斉藤はぽつりと答える。
「なんでよ」
「俺、こんなとこで何もする気ないし」
「そうかい?」
「それより金が欲しい。な、婆ちゃん。金くれない?」
小山の様に重なった大根をケースに詰めながら、斉藤は本音を吐く。
この土地売って金にしなよ。そうしたら俺がその金を使って、一儲けしてやるからさ。
一度悪いことを覚えてしまうと、なかなか元には戻れない。
こんな事を考えているのがどれだけ愚かで馬鹿らしい事か、斉藤は自分でも分っている。
だけど、どうしてもそう言わずにはいられない。
「お金ねえ」
作業する手を止めて、老婆は空を見上げる。
「たーちゃんは、お金を使うのが下手だからねえ」
「……ちぇっ」
「たーちゃんが苺を自分の手でいっぱい作ってくれるって言うなら、婆ちゃん考えてあげるけどねえ」
「誰が苺なんざ!」

やい、糞婆あ。まだらボケなんざしてないで、とっととあの世に行っちまえ。
心の中で更に悪態をつきながらも、斉藤は手を休めない。
気がつくと、きれいに葉を揃えられた青首大根が、きっちりと何ケースも収まっている。
我ながら良い仕事をしていると、斉藤は感心する。
「たーちゃん、後でお茶淹れようかね」
老婆は目を細めて笑った。









その頃、部屋の中で1人の少女が瞑想していた。
外はまだ陽が出ていて十分明るいのだが、遮光カーテンで遮った8畳程の洋室は、夜の様に暗い。
机の上には蒼いシルクサテン地で作られた小さなクッションが置かれ、
その上には公式野球ボール程の水晶玉。
年頃の少女が持つには違和感を感じるようなアイテムだが、少女は両手でその玉を包み込むと、更に瞑想を深めていく。
「神秘なるこの力、どうぞ私に見せて下さい。この私の心の曇りを晴らしてください……」
やがて行き着く所まで辿り着いたのだろう。
少女の細い体が、静かに震えた。






FIN



久しぶりにジンぐる更新。この続きから、ミヨ視点になります。

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