「この子は言葉が遅くてね。ほんと、大人しい子だった」
盆正月で親戚が集まると、決まって親はそう言って斉藤の幼い頃を偲ぶ。本人にも僅かだがその記憶は残っている。
3つの年を数える頃、親に連れられて専門家に診てもらった。嫌いな注射を打ちにいくのかと思ってそこまで辿り着くのに随分暴れた。終いには、当時まだ達者だった爺さんに体を担がれて軽トラックに荷台に放り込まれてしまった。
鶏糞のつまった麻袋と一緒に荷物と同じ扱いを受けた事、今思い出しても胸が痛い。
後で知ったが、連れて行かれた場所は病院ではなく、保健所だった。
殺風景な部屋の中、制服を来た女の職員が自分の傍に来て何か話しかけてきた。
自動車で遊びましょう、絵本を見ましょう、おやつを頂きましょう。
機械的に繰り返される職員の促しに対して、幼い自分は無関心を装った。
親とは随分違う優しい言葉がけ、無意味なスキンシップと愛想笑い。
何となくではあるが、自分を試されていることは分っていた。この部屋にはいないが、親も何処かで自分の様子を伺っているのも知っていた。
どうすればまわりを落胆させる事ができるのか。考えた末にとった行動は「だんまりを決める」事。
部屋の隅にじっと座りこみ、親指を吸う。
まわりのため息が聞こえてきそうな空気を感じ取り、斉藤は一人満足した。
検診の結果、要注意との判定が下された。知恵は劣ってはいないが、言葉が遅いのは確かとの事。
言葉を知らないのではなく、言葉を発する気持ちが育っていないと。
その後両親は、しばらく色んな所へ行っては、息子の療育の為に躍起になった。
特に母親はたいそう心配した様で、気に病むあまりに息子を激しく叱った。いつだったか、「いただきます」の挨拶ができない事に腹を立てられて、挨拶ができるまで外に放られた事がある。
秋の初めの夕暮れは思ったよりも早い。自分の家も近所の家も、灯りが灯っているのに、自分の足元は悲しくなるほど暗かった。
刈り時を待つ稲刈り機の座席へよじ登ると、斉藤は声を殺して泣いた。自分は本当に愛されているのか、良く分らなかった。
親の期待通りの行動をとらないと、愛情を求める事さえも許されないのではと思った。
そんな自分が、今では言葉を商売にして生きている。
全てを疑って懸かる者、あからさまに嫌悪を抱く者と対峙した時ほど、血が騒ぐ。
しゃべって、しゃべって、しゃべりまくる。相手が聞くのに疲れ果て、その挙句に「YES」と言わせてしまうまで喋り捲る。
売りつける商品が十分胡散臭いのを承知の上で、相手に購買を決意させた時の快感。
これが悪だと誰に罵しられようと、この商売を辞める気は毛頭無い。
そうやって自分を酷く罵る奴には、一番高額で粗悪な物を売りつけてやる。
どこまでも腐りきった舌で、あの時も同じ様に貶めようと斉藤は企んでいた。
上手く誑し込めば、その報酬は十分期待できる。斉藤は必死だった。今までに無いほどの声色を使って、相手を良い気にさせてやろう。気合十分で相手に向かったのに……。
「何」
黒髪の少女は斉藤を見るなり怪訝そうな表情を浮かべた。そしてため息をつくとゆっくりと瞼を閉じる。
長い睫が閉じられていく様を、斉藤は見逃すことは無かった。僅か数秒の間に起きた事なのに、そこだけ時間がゆっくりと進んでいく様だ。
「あなた、誰」
目が開くと、今度はじっと見つめられた。何かを見透かすような神秘的な目に斉藤の心はざわつく。
「お、俺?」
思わず声が裏返った。
「俺はそのー、こ、こ、こういう、こういう者なんだけど…って、あれ?あれっ?な、無い?!」
背広の懐に手を入れながら斉藤は叫んだ。いつもなら僅か2秒程で相手に差し出す名刺が何処を探しても無い。
これはどういう事だ。斉藤は混乱した。このままでは唯の不審者だと思って逃げられてしまう。
「あ、本当は名刺がちゃーんとあるんだけど、どっかいっちゃってさ。君があんまりにも可愛いから、おにーさんちょっとパニくっちゃって!あは、あはははは」
ああ神様、どうか俺にチャンスを!必死に頭の中で念じたものの、その願いは届かなかったようだ。
カルソンを脇に挟むと、少女は斉藤から離れようとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
邪魔な前髪を手で払いのけると、斉藤は少女を追った。
「は、話聞いてくれよ!」
駆け出した先に鳩が群れている。慌てる斉藤の足音に驚いて、鳩がわっと飛び上がった。10羽以上の羽ばたきに少女の足が止まる。
「あの、俺。俺…」
社会人になって以来、ずっと怠けた体で全力疾走をするのは、相当堪えた様だ。破裂しそうな程の激しい鼓動に、斉藤は思わず胸を押さえた。
「ほ、ほんとに君が可愛いと思って、それで話しかけたんだ。俺、スカウトの仕事をしてるんだけど、君を是非アイドルにしたいと思って、それで」
「結構です」
「えっ?」
どういう事?俺がこんなに「君が可愛い」って言っているのに。恐ろしく冷めた声に斉藤は震えた。
「いや、その。ねっ、俺の話ちゃんと聞いて」
普通なら、ここで相手の両肩をつかんでがんじがらめにして説得する所だが、少女の肩に手をかける事はしなかった。
全身から何か発する物を感じて、さっきから手が少しも言う事を聞かないのだ。ひょっとして、少し前に流行った気孔ってやつだろうか。
「話は聞きました」
「だ、だから。君はすごく可愛いの、分る?友達から良く言われるでしょ?男の子に、もてたりするんじゃない?でしょ?でしょでしょー?だよねー。おにーさん、もう少し自分が若かったらスカウトじゃなくてマジナンパしようと思って」
「臭い」
「へっ?!」
何、臭いって。いきなり衝撃的な発言に斉藤は面食らう。
そして次の言葉でノックアウトを決められてしまう事を知らずに。
第三話 おわり。
恋の始まりは、最悪な印象をお互いに持って。
※monmon掲載の「童貞を失えば」に色々と暖かい感想をありがとうございました。
官能系の話って読むのは楽しいと思うんですよ。それで、その人なりにドキドキしたりムラムラしてもらえればそれで良いなって思います。感想を伝えるのは難しいですよね。内容が、内容なだけに。
自分がmonmonのサイトを立ち上げるきっかけになったのは、8年ぐらい通い続けているウェブ作家さんの作品に影響を受けております。
とにかく、この方の書かれる官能小説は素晴らしい。どれだけ感動して泣いた事か。
読んでいると、頭の中がピンク色に染まります。
身も心も潤うってこういう事を言うんでしょうね。
官能小説は侮れませんよ。性欲は人間にとって絶対に欠かすことのできない欲望です。
その欲の発し方を、どう文学的に表現されているか。
子どもの時から太宰治やヘルマンヘッセ等の話しを読んでは、むらむらしていた自分にとっては、
その方の作品は正に心の底から読みたかった官能小説でした。
この2年余り活動を休止されていたのですが、この秋から活動を再開されました。
この事をついったーで知った時は、本当に嬉しかった。
思わず「ついったーを始めてよかったと思ったこと。アナタの更新を知ること」と、言葉を送っちゃいましたもん。
それでですね、いつかはその方に感想文を送りたいと思っています。
時々下書きしてみるんだけど、難しいですね。好きですと、ただ一言伝えればいいのに、それがなかなか。
なので、「童貞を失えば」に感想を送って下さってありがとうございました。
あっ、スパムメール並のやーらしい文章でもOKですよ(笑)。何か感じたものがあれば、どうぞ自由に伝えてくださいね。
そうそう。昨日、久しぶりにビレバン(ビレッジ・バンガードと言う名の本屋さん)に寄ったのですが
「エロい物コーナー」の所に手塚治虫の「奇子」が詰まれておりました。
くるよねえ、奇子。
差別・偏見・近親相姦・強姦
漢字だらけですが、この作品は正にこんな感じ。素晴らしい作品ですよ。
ではでは、色々と話しが飛びましたが今日はこのへんで。
大掃除はちっとも進みません。
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