自販機の缶コーヒーのボタンを今日はこれで6回押したことになる。どの位置に、どのコーヒーがあるかなんて目を瞑ってもわかる。
斉藤は一人愚痴ると、受け口からコーヒーを抜き取る。触れた瞬間、斉藤は大きく舌打ちした。
「ちっ。まだぬるいじゃんよー」
ったく、こんなぬるいもんなんて飲めやしねえ。金返せ、この野郎。
悪態を続けようと思えば幾らでもつきたい所だが時間が無い。ふて腐れた顔でプルタブを抜くと、「ぐき」と喉を鳴らす。味わう余裕さえも無い。わずか数秒で胃の中に120mlの液体を流し込むと、斉藤は歩き始めた。空になった缶は数歩先のゴミ箱へ。
斉藤は缶を放る事はしなかった……。
学業を終えて就いた先は広告代理店。の、はずだった。
入社して三ヶ月目に会社は巨額の負債を抱えて倒産。斉藤を含め、20数名程の社員は路頭に放り出された。斉藤と同じ新卒の者もいれば、その春に子どもをもうけたばかりの者もいる。
いきなり職を失い、失意状態の斉藤達の前に、突然会社の負債を一切請け負ってやると豪語する男が現れた。
斉藤よりひとまわりほどしか年の違わないその男は、この一年で自社ビルを4つも建てる等、急激に羽振りが良くなった。
男の名は「ボス」。本名は非公開。その素性を詳しく知る者は皆無に等しい。
黒塗りのベンツとアルマーニー。そしてクロコダイルの靴で決めた男は、斉藤達に金儲けの話をこう持ちかけてきた。
「今から俺の元で、俺の言ったとうりに働いてみな……。そうすれば、数年経った頃にはオマエも俺みたいな金持ちになれる。
だがその前に、まずはその安っぽいスーツをゴミ箱に捨てろ。
金を借りてでも良い物を着るんだ。そうすれば運がオマエに味方するさ……」
男の強気な発言に、斉藤は男へのカリスマ性を感じた。そして言われるがままに、男の下で働くことを決めたのである。
「あっ…っと」
スーツの胸ポケットの中で携帯電話が震えた。やべえ、“ボス”だ。着信音を耳にした斉藤の足はぴたりと止まった。
「はあ」とため息をつくと、空を仰ぐ。空は斉藤の心を現すかのように暗く澱んでいる。
とにかく電話に出なければ。慌ててポケットに手をいれると、ひったくるように携帯を取り出す。
ボスを真似てつけたスワロスキーが液晶画面を眩しく彩る。
きれいだと信じて宝飾を施してみたものの、斉藤の稚拙なセンス故、どう見てもおもちゃにしか見えない。
意を決して通話のボタンを押した瞬間、斉藤は慢心の笑みを浮かべて電話に出た。
「お待たせしました、ボス!」
いやあ、すいません。さっきまでトイレ行ってたんでちょっと出るの遅くなっちゃって。
ああこっちの方は順調にいってますよー。もうさっきの婆ちゃんなんか田舎の孫思い出すって泣きながらハンコ押してくれましたよ。えっ?そうそう、『神秘の波動水』。あれなんて大人気ですよ!どっかの議員さんが使ってた『なんちゃら還元水』よか、ずっとウケが良いですもん。もう、さすがボス!次から次へと目の付所が違います!もうほんと、神。アナタは神ですよ、ボス!
よくもまあ、こうも次から次へとおべんちゃらが言えるものだ。向こうは俺の稼ぎがさっぱりな事を知って電話をよこしているのに、どうしても口が止まらない。
恐ろしいのだ。相手が自分に話しかけてくるのが心の底から恐ろしいのだ。
一緒に働いていた奴は殆どがいなくなってしまった。それもある日突然にだ。
同僚の一人は富士山の樹海に連れていかれたと聞くし、ある者は記憶をなくしてしまったらしい。
ヤクザではないが、この仕事が真っ当な道を歩んでいない事ぐらい、自覚している。
ひょっとしたら、俺だって同じ目にあうかもしれない。そう思うと、捲くし立てるしか他無いのだ。
とにかく、「ちゃんとやってます」と言う熱意だけは伝えておかなければ。
「それでですね、ボス。俺が思うには、俺のモチベーションをもっと高めるためにも、報酬をもう少し」
「上げて欲しいのか、斉藤」
「えっ?!いや、そ、その」
しまった。調子に乗って喋っているうちに、つい本音を漏らしてしまった。案の定、電話の向こうから男の笑い声が聞こえる。
「客を取り逃がす才能しかないオマエが言う台詞か?斉藤よ」
「し、失礼しました!」
ちびりそう……。恐ろしさで胸がつぶれそうだ。あと数時間後には自分の名前を忘れているかもしれない。
斉藤は心の中で必死に自分の名前を唱える。
俺の名前は死んだ婆ちゃんがつけてくれた名前。ただしく生きろ、ただしく生きろと思いをこめてつけた名前。なのにどうも正しく生きることが苦手になっちまったけど、俺はこの名前を捨てられねえ。
だから俺は…!
「斉藤よ」
男の声がすっと耳に入ってきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ああ、さっきはやばかった。俺、ホントに生きた心地がしなかった。
公園の水飲み場で顔を洗うと、斉藤はホッと安堵のため息を漏らした。
とにかくボスは自分を許してくれた。それも次の仕事の課題を具体的に教えてまでしてくれた。
「-----アイドル養成事務所として女の子をスカウトとはねえ。ふっ。ボスも気が利くよ」
ズボンのポケットからぐちゃぐちゃに折りたたんだハンカチを引っ張り出すと、濡れた顔に押し当てる。
男の次の仕事の依頼は、「美少女を一人スカウトしろ」。
それまでは妖しげな健康食品を年寄り相手に売りつけていたが、今度は女。それも女子高生ときてる。
いつ「お迎え」が来るかもわからない者を相手にするより若い方がずっとましだ。
「まっ。俺はこの土地に詳しいしー」
この地域は良家の子女が通うミッション系の高校が3校。そのうちの丘の上にある高校は斉藤の母校でもあった。
斉藤が在学の頃から、そこに通う女子高生は美形が多く、世間にすれていない。
同校の卒業生として声をかければ、話しが進みやすいのでは。
「上手くスカウトに成功すれば……」
アイドル養成に準備金が必要と言って、親から多額の金額を請求できる。
親元から離すために上京させたら、後はこっちのものだ。やれレッスン費だの衣装代だの幾らでもせびるチャンスがある。2、3年ぐらいたっぷり搾り取った後は、「売れなかった」との理由で返すか、または体を売れば良い。
「やっぱボスは、俺の事が大事なんだな。なんだかんだ言って、ボスは俺を可愛がってくれる」
卸したまま、一度も洗っていないのだろう。拭き取ったハンカチは汗ですえた香りがする。
いつもなら乱暴に捨てる所だが、斉藤はそれをしなかった。
公園の奥のベンチにたたずむ女の姿をとらえたのだ。
年は15、6ぐらいだろうか。肩まで届く黒髪が少女の可憐さを強調していた。きちんと揃えた膝からのびる足はカモシカの様に細い。
「すっげえ…なんか“お人形さん”……」
みたいだ。それも実家の母が嫁入り道具として持ってきた博多人形に良く似ている。
陶磁の様な白い肌に、斉藤は思わず見惚れてしまった。
どれぐらい経ったのだろう。
それまで座っていた少女がすくっと立ち上がった。学校の鞄と他にもう1つ。学校鞄よりもひとまわり大きく薄型の手提げ鞄を見て、斉藤はふと思い出した。
学生の頃、はじめてつきあった女が同じものを持っていた。当時の彼女は美術部に所属していて、いつも描いた紙をその薄っぺらい板状の鞄に挟んでいたのだ。
確かあれは……。
「カルトン…。カルトンだ」
ほんの一瞬、彼女との思い出が頭を過ぎった。文化祭に向けて、自分を題材にしてデッサンを繰り返した日々。人気の無い造形室ではじめて口付けを交わした事。そして、はじめて童貞を失った事。
すべてが不器用の一言で片付けられた苦い思い出。
斉藤は頭を振り払うと、その思い出を強引に消した。そして手提げポーチの留め金を外すと、レイバンのサングラスを取り出した。
大きい仕事をする時にこれを使え。ボスがそう言って譲ってくれたものだ。
「ボス。今度こそは上手くやりますよ」
そう呟くと、斉藤は少女に向かって歩き出した。
第一話 おわり
斉藤ですよ、あの斉藤です。
ミヨちゃんですよ。あの宇賀神です。
「さとミヨ」です。そうです。斉藤くんとミヨちゃんの、恋のお話なんです。
絵チャで平●均さんが、すっごくかっこいい斉藤くんを描いてくれました。
おいらはそれを見た瞬間、頭の中を一気に話のイメージが浮かび上がりました。
最初はノリで「斉藤の話を書くー」と言っていましたが、書き始めたらかなり真剣になりました。
久々の三人称です。
書いちゃいますよ。
どなたか、「さとミヨ」を支持して下さいまし。パワー頂けたら、下手なりにも、筆が乗ってくると思います。
どうか…!
って事で、夜中にがーーーっと書きました。随分荒い文章ですが、まずはこのままにしておきますね。
あと、絵チャにおこし下さったバンビ様。ありがとうございました!
それに…斎藤君!まるでマーシー(または話題のマッチ•笑)の『アンダルシアにあこがれて』みたいだよ!ヤバイ匂いがぷんぷんするよ!
あんなしょーもない絵からここまでお話が書けるなんて…さすが変態!素晴らしい!
なんちゃって、かくいう私もあの後、脳が斎藤でいっぱいになっちゃって、明け方まで斎藤の絵描いてました(笑)
行く末が気になる…!あぁ続きが待ち遠しいです!
1から3まで通しで出ているサブキャラですよ。それも8年の時を経て、彼らしい生き方をして成長している。成長している、って言うのは語弊があるかもしれないけれど(笑)。
ミヨはコウにもルカにも思った事を正面から言える子なので、斉藤の歪んだ部分にも立ち向かうことができるんじゃないかなあって思いながら書いています。話の続きは早いうちにUPします。よろしくお付き合い下さいませ。
へーさんの斉藤がもっと見たい!